農業が持つパワーを届けたい。
「おいしい!」という感動を
「たのしい!」という喜びを
「おもしろい!」という学びを
わたしたちは、めいファームに出会ったすべての皆様に
みずみずしい気持ちを心に宿してもらえるように
チャレンジし続けます。
私が農家!?
令和4年3月。それまで17年間務めた私立学校を退職しました。
当時、2人の小学生と1人の保育園児の子育ても真っ最中。職場の同僚や親にも反対されましたが、女手一つで新規就農という道を選びました。
周囲はもちろんですが、私自身もこの挑戦を選択したことに驚いています。まさか私が農家になるなんて!
養豚農家の長女に生まれて
私は、筑波山の東の麓に当たる、石岡市(旧新治郡八郷町)小幡地区に生まれました。祖父母が養豚業を営み、父が兼業で米作りをする、この地域ではよくある農家の長女として育ち、毎日の豚の世話や出産、田植えや稲刈りなど、とても農業が身近にあったことを記憶しています。
やがて祖父母は高齢になり養豚業を畳み、父も53歳でガンにより他界。田んぼは維持が難しくなったので地域の担い手農家に貸し、農業機械もトラクターを残して全て売り払いました。おそらく離農する農家のほとんどが、このような状況を経ていると思います。
私も就職、結婚、出産を経て、特に不自由なく生活していましたが…
故郷の耕作放棄を目の当たりに
時を同じくして、周囲の農家の離農も進んでいました。小幡地区は米農家はもちろん、梨や柿などの果樹農家、養豚や養鶏などの畜産農家、インゲンを主とした野菜農家など本当にたくさんの農家がいますが、この数年でどれだけの農家が離農したでしょうか。
手入れがされなくなった荒廃地が増え、大好きだった豊かな里山の景観は昔のものになりつつあります。何もできないけど、何かできることはないか。そんな思いが心のささくれのように、チクチクと刺激してきました。
農業への思い
令和2年の秋のこと。コロナウィルスが猛威を振るう頃、農協に勤める主人が「ショウガの生産者を募っている」という話を持ってきました。5aほど残したうちの小さな耕作放棄地と、主人の知人がやはり耕作放棄した10aほどの農地で作ってみようと言い始めたのです。
「土日と朝夕の簡単な管理だけでできるから」と言われ、はじめは興味本位でやってみることにしましたが、騙されたと気づいたのは後のこと。耕作放棄地は雑草との戦いでした。日の出とともに畑に出て、出勤するまで草をむしる。土日も草をむしりつづける。ひと夏を草むしりで明け暮れた先に待っていたのは…ショウガの大豊作。
丸々と太ったショウガを掘り上げた時の感動が、農業への思いを駆り立てました。私にできること、私がこの生涯でやりたいこと。パズルのピースがパチンと音を立ててはまるように、就農を決意しました。


めいファームのこれから
めいファームはまだまだ設立間もない農家です。
農地のほとんどは耕作放棄された畑を借りて、小さな面積でやりくりしています。栽培技術もまだまだ半人前で、先輩農家の技術を見様見真似です。
それでも! これから皆様に愛される農場になるべく、いくつかの目標ができました。
① 女性の新規就農者のモデルケースになること
なんとか一人前の農家になって生計を立てることで、技術も経験も整った環境も無くても、農業をやってみたい!という女性が一歩踏み出せるよう、成功モデルになりたい。
② 食育に貢献すること
3人の子どもたちを育てる母親として、この子たちの未来に素晴らしい自然環境や農業、食文化を残していけるよう、食育に力を注ぎたい。
③ 地域を農業で活性化させること
地域の子育て世代や定年退職後のリタイヤ世代の雇用を創出するとともに、